第二部 第1章 サムライトーキョー
第二部 課題の多い料理店 第1章サムライトーキョー
「入店待ちが外階段を飛び出すまで間もなくです!」
鎧武者が近づいてきて、八幡に耳打ちする。
「三番テーブル、動く気配は」
「ありません」
「粘るな」
「最後尾、百五十分待ちにて」
「よし、建物を取り囲むように列を伸ばせ。ビルの入り口は塞ぐな。一階の店舗にはそれがしから謝っておく」
「御意!」
鎧武者が走り去っていく。
「ふう…しんどい」
兜の中が蒸れてかゆい。侍が頭の真ん中で、髪を剃り上げていた理由がわかる。
暑さで朦朧とする意識を奮いおこし、八幡は視線を持ち上げる。
土俵の上に茶室が建っていて、にじり口に鎧武者が上半身を突っ込んでいた。対面にはロフト席があり、天守閣を意識した唐破風の屋根が付いている。中華風の格子がはまった丸窓を破ってロフトから忍者が飛び降り、カンフーを決めてオーダーを叫ぶ。
「生ツー、枝豆ワン、鳥の唐揚げワン所望なり!」
キッチンに立つ数名の板前から御意!という声が上がる。
サムライトーキョー…外国人が選ぶ日本の観光スポット第9位に輝いたレストラン。アメリカで成功したカートゥーン作家トーゴー・クロサワが、『欧米人が見たい日本』をコンセプトに開業してこちらも大成功。売り上げはここ数年で急激に伸び、月商三千五百万円に届かんとしていた。
トリノ・ガーデン株式会社は、オープン当初からこの店のオペレーション構築に深く関わり運営を任されていた。八幡はトリノ・ガーデンの社員である。本社から精鋭を引き連れ、ホール・チーフとして出向していた。
サムライトーキョーは、トリノ・ガーデンの貢献によって飛躍的に生産性を高めたモデルケースである。トリノ・ガーデンとしても運営に力を入れており、その姿勢をオーナーも高く評価していた。蜜月関係といってよい、良好な関係が続いていたのだ。…ここ最近までは。
にじり口から上半身を引き抜いた鎧武者が、兜に仕込まれたインカムにまくしたてる。
「八幡殿、手が足りません」
「またか」
「三階二十番テーブル、バッシングをお願い申す」
「分かったでそーろう」
三階に向かって走りだす八幡。インカム越しに笑われる。
「やっぱ下手ですね、しゃべり」
「仕方ないよ。俺、役者じゃないし」
店内には徹底したマニュアルが敷かれていた。ホールで現代語を話すことは禁止。業務連絡も、すべて時代劇のような侍言葉だ。
もっともこの点に関しては、指導にあたるはずの八幡が従業員のなかでは一番の不得意だった。だからお客様に聞かれない状況では、バイトが普通に喋ることも大目に見ていた。
実際、この特殊な言語環境に馴染むには、適性のある者でも相当な時間がかかる。八幡がこうした緩和策を導入するまでは、オーダーミスが多発していた。マニュアルを杓子定規に運用することだけがオペレーションではない。
四階から三階への階段を降りる。三階は少し前に新設されたホールだ。もともとは四階だけの店だった。
レプリカとはいえ、重たい鎧兜をつけて階段を上り下りするのはかなりの重労働だ。疲労と暑さに、また頭がぼんやりとし始める。踊り場でターンすると、階段を上ってくる鎧武者数人とすれ違う。ステップでかわす。と、その後から続いてくるお帰りのお客様が数名。壁にはりついて頭を下げる。鼻の頭から、ポタポタと汗が流れ落ちた。
生簀にかかった川床を渡る。外国からの団体様が釣りをしていた。釣った魚は、ゴシック風コスチュームのメイドが、その場で捌いてスシにしてくれる。
巨大な仏の掌の上に設置された二十番テーブルに着く。皿をまとめてトレーに乗せ、卓上を拭く。これをまた四階に運んで完了。この皿下げの過程がバッシングである。三階にホールが新設されてからは、特につらい仕事になった。
食器を抱えて再び階段を上がり、洗い場に放り込む。ため息をつく。しゃがみ込んでしまいたいが、お客様の目もあるからそういうわけにいかない。
会計の前には行列ができている。今度はあっちをなんとかしなきゃ…。
「八幡殿」
インカムから呼び出しがかかる。
「なんでござろう」
「オーナーがお呼びです」
「えー…」
八幡はげっそりとした。オーナー室は三階である。
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