第1部最終章 神のオペレーション1

「ありがとうございます!」

工場内に藤沢の声が響き渡る。

包装機の作業者が振り返るくらいだから、よほどの大声だ。誰もいない空間に向かって頭を下げていた藤沢は、急に恥ずかしくなって工場の外へ歩き出す。


「やっぱりあれが効いたと思うんだ、異物混入率…新オペレーション導入前との比較で…えーと、1942分の1」


電話口の西脇の声も明るい。


栃木工場は改善前と比べて、およそ2000分の1程度にまで異物混入率を下げていた。約30年に1個という超低確率である。


「会議室でも笑いなんか起きちゃってさ…会長なんか『もう、ゼロと一緒だよね』なんて言ってたから」

「でもまあ…結局のところ理論値なんですよ」

「いやいや、ご謙遜。私も安心したよ」


…理論値なのだ。2ヶ月前から、ハニーモンスターの生産ラインでは異物混入商品はひとつも発見されなくなった。この結果を公表すると、工場の従業員はみな万歳せんばかりに大喜びした。


しかし、藤沢だけは一人悩んでいた。『発生しない』異物の発生率を、前月比で何パーセント減と表現したらよいのか?異物発生ゼロと言い切ってよいはずがない。来月1個現れるかもしれないし、2年後に1個現れるかもしれない。30年後かもしれない。


神ならぬ人間のすることだ。永久に異物混入品が現れない保障などどこにもない。その一方で、Kawaii堂には納得してもらわなければならない。異物混入品が市場に出回る確率は、限りなくゼロであると。確たる根拠に基づいた数値を提示しなければ…。


結局、個々のワークセンターを試運転して評価した。

残業を強いられた従業員は不満顔だったが仕方ない。各工程、月に3回程度の計測。改善といっても限界があるから、異物混入の確率はある一定の値に収束してゆく。ある工程では、新オペレーション導入前の約3分の1が限界であったり、またある工程では4分の1であったりした。

ここから導き出された全工程終了後の異物混入率。新オペレーション導入前との比較で1942分の1。


「はい…はい…失礼します!」

藤沢はまた誰もいない空間に頭を下げると、工場用に支給されたガラケーをパチンとたたんだ。社長室の前に立つ。


深呼吸してドアを開けると、宇都宮の社長を正面に、各ワークセンター責任者と上山らが集められていた。みな、固唾を飲んで藤沢を見守っている。


「ハニーモンスターの生産ライセンス、継続が決定しました!」

歓声が上がる。抱き合っている者もいる。


上山に歩み寄り、藤沢は頭を下げた。

「上山さん、ありがとう。あなたのおかげだ」

「いや、藤沢さん…これからですよ、大変なのは」


藤沢は顔を引きつらせる。

「勘弁してくださいよ、少なくとも…もうしばらくは」

はじめて声をあげて、上山が笑った。


夜は工場内の食堂に集まって、盛大な慰労会となった。従業員の家族も呼ばれ、用意された瓶ビールが飛ぶように消えていく。

「良かったよ、残念会にならなくて」

厨房のおばちゃんが銀歯を見せて笑う。


藤沢と上山の周りには人だかりができた。従業員と家族たちがひっきりなしにお礼を述べ、握手を求めてくる。コップが空きそうになると次々とビールを注がれ、酒に弱い藤沢は少々辟易した。


上山のやり方を一番ネチネチと批判していたワークセンター長が、その上山の手をとり泣いて感謝している。藤沢はつい笑ってしまう。


人ごみを縫って、上山が藤沢に近づいてきた。

「藤沢さん」

「あ、はい」

「明日、東京に戻ります」

「え・・・」


(第一部最終章 神のオペレーション2に続く)