第2章:退路は絶たれた(後編)

…栃木工場。配られた資料に目を落としたまま、上山は今だに一言も発さない。藤沢の気持ちは、ふたたび揺らぎはじめた。この男は、本当に信用できるのか。


「異物混入ゼロ…努力はできます。しかし、安請け合いはできません」

宇都宮パティスリーの社長は生産現場から叩き上げた、いわば食品製造業界における職人ともいえる人物だ。その言葉は、工場の製造工程を熟知した重みに支えられている。

社長がダメだと言った、これはもうダメだ…。各製造工程の責任者たちの表情にあきらめの色が浮かんだ。


「Kawaii堂は譲りませんよ。ハニーモンスターの製造中止を受け入れるのですか」

藤沢も必死に食い下がる。


「我々にとってKawaii堂は、唯一といっていい大口の顧客です。このままでは、ハニーモンスター以外の商品の製造も止められるかもしれません。御社に覚悟はおありでしょうか」

業績悪化、工場閉鎖、リストラ…下手をすれば倒産。会議室にいる全員が同じことを考えていた。やはり退くことはできない。かといって、前に進む手立てもない。


「これは…」

上山が初めて口を開いた。

「なんとか…なるかもしれません」

会議室の全視線が上山に集中した。適当なことを言ったら許さない…黙っていれば引き受けなくてもいい工場中のフラストレーションを、上山は甘んじて引き受けようとしている。藤沢は生きた心地もなかった。


「なんとか…というと?」

宇都宮の社長が、できるだけ穏便に尋ねる。

「仕掛かり在庫や、検品のタイミングを確認していました。異物混入を実質的にゼロにすることは可能かと…」

誰もが言葉を失った。馬鹿にして、ニヤけている者もあった。上山だけが微笑を崩さない。


「皆さんに、何か考えがあるならそちらを優先しましょう。ないのなら、私から提案させていただきます」

会議室はシンと静まり返った。上山がホワイトボードを要求する。呆然として動かない工場の面々を尻目に、藤沢は廊下にあったホワイトボードを引きずってくる。

進もう、退くことができないなら。今は上山を信じるしかない。藤沢が縋るようにしてマーカーを差し出す。上山は力強くそれを受け取ると、ハニーモンスターの製造チャートを一気に描き始めた。

(続く)